備忘録
約一年、自分のなかで区切りのタイミング。
大切なものやこと、人との出会いや別れ。
一年で何が出来て何が出来なくなるか。
身体は大きくなる。
心は麻痺していく。
大切なものから目を背ける事がある。
矛盾しているとわかっている。
大切なものとわかっているなら、背けてはいけない。
真に向き合うべきだとわかっている。
訪ねることすら、相手の邪魔になることもある。
そう考えながら一年がたつ。
時は過ぎる。
二度と戻らない。
人の気持ちも、また然り。
だから、自分がしっかり気持ちを持っていれば良い。
それが、せめてもの、大切なものへの向き合い方。
幸せに楽しく。
毎日を過ごしてほしい。
花火
夏と言えば、花火。
皆が歓声をあげる、大きな尺の花火。
その陰で、花火師達は汗を滴らせ作業に励む。
花火があがるところに鎮魂の願いあり。
花火を見つめるその先に、願いを込める。
あらざらむ この世の外の 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな
誰からか聞いたことがある。
今日もどこかであがる花火は、誰を鎮めるためなのか。
この花火、誰が為に。
人はその瞬間毎に、主人公だと錯覚しがちである。
様々なストーリーの中に、様々な主人公達が同居している。
ただ一人の登場人物であることに、気付きたくない。
この世は、何のためにあるのだろう。
京都にふらっと自転車で。
8月16日9:00、雨雲レーダーを確認。
中部から西日本にかけて、曇りのようだ。
本来であれば、前日のお昼から出る予定だった。
8月16日10:30、よし。
ほぼ、雨が降ることは無いだろうと決意。
京都まで自転車で一人旅。
自分がどこまでやれるのか。
何を感じるのか。
スタートしてから三重までなんの問題もない。
平坦な道で見慣れた道。
ここからが大変でした。
亀山→甲賀→伊賀→宇治
三重の恐ろしさをここで知るのです。
坂道の連続、田舎道過ぎて熊の出没に怯えながら漕ぐ。
ひとつ道を間違えると、三重を南下しそうで、その都度Googleマップに頼りながら。
亀山らへんの山道、道を間違え誰も通らないような山道。
名阪国道は自転車不可にもかかわらず、一旦そこまで出てしまい大幅なロス。
やっと、宇治市。
後ろから来た車に追突されそうになりながら、逆行で一枚。
その後、スターバックス平等院にて一服。
本来の目的地の伏見稲荷さんに向けて、キャラメルマキアートをイッキ飲み。
10:57に、名古屋を出て。
18:45に、伏見稲荷さんに到着。
疲れが吹き飛ぶぐらいの、綺麗さ。
ライトアップされていて、幻想的。
海外の方ばかりのなかで、記念撮影。
手袋を落とした時に海外の方に拾ってもらった。
絶対に英語だったはずだけど、理解できた。
あの瞬間、コミュニケーションができてたんだな。
ありがとうございました、拾ってくれた人。
帰りは新幹線。
7:30掛かった時間を30分で結ぶ。
人間の作り出したものはすごい。
ただ、自分の足で感じた距離の後では、ありきたりな言葉ではなくて、本当にすごいと感じました。
最後に、山道でアントニオ猪木さんの声が聞こえました。
その道を行けばどうなるものか。
危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。
確かにそうだなと。
一歩ずつ踏みしめれば、必ずgoalに辿り着く。
そんな、当たり前の事に気付けた一日でした。
三日坊主
『ご縁』という言葉が好き。
神々しく、導かれたもののように感じるからなのか。
一生のうちに、どれだけの人に出会うのか。
それを『ご縁』と感じることは、どれだけあるのだろう。
きっと、人は無数の出会いを経験している。
その中で、『ご縁』と認識できるものは、そう多くないはず。
きっと、『ご縁』とは至極主観的なものなのだろう。
人は、ほぼ100年も生きられない。
私もあと、40~60年の命だろう。
何ができるのだろう。
何が残せるのだろう。
誰のために?
わからない。
酒を飲む、それも沢山飲む。
つまみを食う、それも不必要に食う。
もう飲まなくても良くなっても。
もう食べなくても良くなっても。
祈りに似ている。
祈らなくても良くなっても、祈る。
屈折している。感情も感覚も。
こんな夜は、ひたすら飲む。
君のことを思いながら。
音楽のある生活
音楽を聴くと、様々なことがフラッシュバックする。
その時に抱いていた感情や、景色が色鮮やかに。
特に、青春の良き思い出との結び付きは深い。
良い思い出、に感じるように美化されている。
実際には、苦く悲しいことも含まれる。
五感とはなにか。
味覚、触覚、嗅覚、聴覚、視覚。
このすべてで記録された、思い出と呼ばれる記憶達。
記憶の中に強く記された感情を消すことは、難しい。
いつまでも過去に浸るのは、良くない。
ただ、今日ばかりは今ひとたび、と。
そう、願わざるを得ない。
※写真はこの記事とは関係ありません